流浪の月

 

「流浪の月」を見た。感想を述べる。

まず、一言で言うと、凄かった。凄い映画を見た。これから好きな映画を聞かれた時に必ず候補に入る映画。確実に。

 

 

物語は友達の居なさそうな寡黙な大学生“文”が、家に帰りたくない元気な少女“更紗”を連れて帰ることから始まる。

「うち、来る?」「うん、行く」という軽いやり取り。

 

世間はそれを誘拐と言い、文は加害者、更紗は被害者としての人生を背負うことになる。

 

 

15年後、彼らは再会してしまった。という言い方が合っているのか、再会することができた。と言うべきか。

 

 

更紗はきっと、文がカフェのマスターとして人生をやり直し、普通の生活ができていると知って安心しただろう。

文はどうかな。嬉しかったとは思う。でも亮と付き合ってるところを見て、ショックを受けたかもしれない。それか、またそんな不自由なところに居るのかと思ったか。本当の更紗はそんなんじゃない、更紗らしくないと思ったか。亮から「そんなの更紗らしくないよ」と言われてるのを聞いて、こいつは本当の更紗を知らないんだなと思ったか。

 

お互いがお互いに関わらないよう慎重に動いていたけど、ついに堰を切ったのは更紗の方だった。

亮に殴られ血を流しながら店の前でうずくまり、「店、来る?」「うん、行く」

あの日と同じ軽いやり取りで店に入る。もう完全にあの頃に戻ってしまう。

このセリフの使い方は素敵だと思った。

 

 

 

そもそも、更紗は文から洗脳されていたのだろうか。私含め視聴者はあれは洗脳じゃないと思いたいと思う。ただ心優しい大学生が、困っている女の子を放っておけなかった、という綺麗なストーリーにしたいと思ってしまう。でも、きっとそうじゃない。少なからず文には更紗への恋愛感情があった。帰ってもいいよと言いつつ、心の中では帰したくないと思っていたし、帰りたくないと思わせるよう振る舞っていた。

 

口元に付いたケチャップを拭き取り、思わず見とれて触れてしまった。大人の男が。小さな少女に。義兄から性被害を受けてる更紗にとって男に触れられることがどういうことか。でも更紗は何故か嫌な気はしなかった。それだけ文は更紗の唯一安心できる大人になり、唯一の居場所になってしまった。これは洗脳ではないのだろうか。文が無意識のうちに更紗を洗脳し、もしかしたらその逆も然りかも。共依存のような関係性が完成した、とも考えられる。

 

 

更紗は、あの事件で文の人生を壊してしまったと思っている。それは、「自分の都合で文の家に居座り、彼を誘拐犯にしてしまったこと」か。それとも「彼の恋愛対象が幼女であるということを気づかせてしまったこと」か。更紗は幼いながら、どこまで気づいていたのだろう。文の恋愛感情に気づいてて、この人は幼女が好きなんだと知っていたかな。だからあの時、「大人の女性を愛せるようになった」と言ったの?それはかなり残酷。

文は「更紗には知って欲しくなかった」と言った。「更紗は大人になったのに、僕だけ大人になれない」と。服を全部脱いで、更紗を拒否して、物を投げてうずくまり、震えながら更紗に抱きしめられる文は、まさに“子供”だった。頑張って感情を押し殺して大人の振りをしていた子供。初めて大人の女性である更紗に感情をぶつけて包み込んでもらえた。辛かったね、大丈夫だよ、文は文のままでいいんだよと言っているようだった。

 

 

 

そして、亮を何とかせな。こいつは本当に腹立つ野郎だったけど、更紗や文よりも人間味溢れる、言わば“世間の声”だった。更紗を可哀想な子、自分が居ないと生きていけない、帰る場所もない、なんでも言うことを聞いてくれる彼女と思っていた。まじで嫌な奴だな。お前に恋愛は向いてねぇよ。でもこいつが文との対比として効いてくるんだろうな。世間から見れば最悪最低な変態男で、いつまでも大人になれない自分が嫌な文。対して上場企業のエリート社員、実家は農家の土地持ち。そしてイケメン。世間から見れば“最高の彼氏”。でも性欲の塊。自分大好き。ぶん殴ってから身体求めてくるのとか気色悪すぎだろ。

 

 

最後、2人は世間から逃げながらも一緒に過ごす事を決めた。ハッピーエンドなのだろうか。

 

 

結局、人は何も知らないってことなんだろうな。何も知らないくせに誹謗中傷すんなってこと。他者に作られた表面だけで勝手に判断して、自分の中の正論をぶつける。悪気が無くても。“あなたのためを思って言ってるの”っていう一番迷惑な親切。ほっとけって話よな。お前に関係無いだろって。